indexロゴ百年後の博物館ロゴ
小説版「百年後の博物館」ロゴ


「読みました」と僕は言った。
「あなたの小説はこの少年のことを書いていませんか」
「はい、そうです」と僕は答えた。

僕はまず貝塚の行方不明の少年のことを話した。「百年後の博物館」というタイトルで小説を書くことになったこと、訪れたエドモント・テーラー記念博物館で出会った吉沢さんのこと。語られた弟の失踪事件。それからネットで見つけたこの5年前の新聞記事。僕はその2つ、吉沢さんの弟と新宿の男の子を、小説の中で同一人物として描こうと思った。奇妙な私設博物館の開けてはいけない扉を開けてしまった男の子が、そこで出会った猿を追って不思議な世界を旅する。その過程で彼は記憶を失っていく。それが僕の「百年後の博物館」だった。僕の中で新宿の南口で話は終わるはずだったのだけど、何か納得できずに書き直しをした。連載小説だからできたことだが、そのせいで物語は混沌とし、結果当初の予定のサビ男すら登場しないまま第5回目まできてしまった。謎だけ放置して、次は最終回だ。いやあ参っちゃいますよ何も思いついてないんです、なんてこと言ってから、そんな愚痴は今関係ないことに気づき、タカハシさんの方を向いた。
「そういうわけで、僕はこの新聞記事を知っています。それがどうしたんですか」
「私はその男の子の里親なんです」とタカハシさんは告げた。

皿の上には餃子が1つ、古い地層の中から発見された化石のように残っている。干涸びたそれは餃子博物館の名に相応しい。箱の中に入れて展示してあげたいくらいだ。タカハシさんは里親になった経緯を話した。

「私は東京に住んでいました。江戸川区の新小岩です。両親ともずっとそこです。地元の高校を卒業したあと、千葉の小さな私立大学に入りました。おそらくここで名前を言っても知らないような大学です。そこで児童心理を学びました。卒業後は、東京都の児童相談所に勤めることになりました。ゼミの先生の話を聞いて、私にあってるかもしれないと思っただけです。ちょうど虐待や不登校などがマスコミで取り上げられるようになって児童相談所の役目が見直されてた時期でもあるので、社会に対してなにか貢献できればという思いもありました。決して正義感だけではやっていけない現場であることはもちろん知っていましたが、天職かどうかはわからないけど、ここでやっていこうと私なりに決めたのです。
20代後半に結婚をしました。旦那は当時、上野の国立博物館でキュレーターをやっていました。真面目だし、優しいし、ユーモアもあるし、それに彼は私の子供を欲しがってくれました。仕事柄たくさんの子供と接して、そろそろ自分自身のこととして子供の成長や教育に関わってみたいという欲求が芽生えていたときでした。できればすぐに子供を産んで仕事はいつでも止めようと考えていました。
しかしその計画も新婚旅行で彼が大きな事故にあったことで、変更を余儀なくされました。右足を切断するほどのひどいトラブルです。回復してからも彼はふさぎ込むことが多くなり、子供の話もまるっきり出なくなりました。つまり結婚生活というものが、まだ始まってもいないのに、完璧に打ち砕かれてしまったんです。すべての計画はご破算になり、私は再び仕事にのめり込みました。そうでもしないと頭がおかしくなりそうだったんです。
そんなときに、私の勤める児童相談所に警察官に連れられてヨウタがやってきたんです」

ここまで一息で話すと、タカハシさんは少し恥じ入った様子を浮かべた。ひとりで何をぺらぺら喋ってるんだ、といった感じの表情。僕の方はこういうのには慣れている。どちらかと言えば話すよりも聞く方が得意なのだ。遠慮せずに続けてください、と促した。


←前のページへ │ ↑このページのTOPへ │ 次のページへ→
indexロゴ百年後の博物館ロゴ